戦後マスコミ回遊記 第1部
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歴史の表舞台では、功績は一人の人物の創意と発案に帰せられるものだが、果たしてそうであろうか?
例えば、
◆日本最初のテレビ局の免許はNHKではなく一民間テレビ局に与えられたのは何故か?
◆日本テレビ放送網株式会社の社名の「網」が意味するところは何か?
◆日本最初のプロゴルフ大会と最先端科学技術である核融合開発との接点はどこにあるのか?
◆日本人最初のニュースキャスターは?

新聞、ラジオ、テレビの三つのメディアを回遊した柴田秀利を知らずして、これらの問に答えることはできない。

「昭和25年6月、当時、NHKのニュース解説者だった柴田氏は、外電のなかからアメリカ上院議員のカール・ムント演説を発見した。これが、わが国へのテレビ導入の最初の契機となった。
カール・ムント演説の骨子は、世界反共政策のための全世界通信ネットワーク構想を早急につくる必要があるというもので、"ビジョン・オブ・アメリカ"と名づけられたこの構想実現の最適地として、第二次世界大戦敗戦国の日本とドイツをあげていた。
日本は東西冷戦構造のまっただなかに置かれ、占領下の鬱積したエネルギーは反米運動に転化しつつあった。
そこに、ムントの提唱する"ビジョン・オブ・アメリカ"構想がそのまま持ち込まれれば、日本人はそれに反発を覚え、かえって共産革命の悪夢が再現する恐れがある。これが、柴田氏がムント構想に懸念を感じた最大の理由だった。
だが、柴田氏にはムント構想を日本流にアレンジして導入する気宇壮大な青写真は描けても、それを実現するだけの資金的裏付けはなかった。そのとき柴田氏の頭に浮かんだのが、戦前の報知新聞時代、何度か顔を会わせたことがある正力松太郎だった。
日本へのテレビ導入という壮大なドラマは、いうなれば、作、演出をすべて柴田氏が行い、正力はその果実をひとり占めし、それを大宣伝して"現代日本のメディア王"という虚像に、さらなる鍍金をほどこす結末となった。」中公文庫『戦後マスコミ回遊記』佐野眞一の解説より

私たちが生きた戦後とは何であったのか?いまその一つ一つが解明されようとしている。日本初のテレビ導入、原子力利用、ゴルフブームの仕掛け人、柴田秀利が残した記録は、戦後の一ページを鮮やかに浮きたたせ、メディアの裏にひそむものの実像を知らせている。
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