ノンフィクション作家・佐野眞一氏、柴田秀利を語る

昭和28年12月東京有楽町での街頭テレビ

昭和28年12月東京有楽町での街頭テレビに見いる群衆の光景です。

右端に 『聖衣』という映画の看板が見えています。この映画はハリウッドがテレビの出現に対抗して導入したワイド画面シネマスコープの最初の作品でした。群衆はしかし、背をむけて食い入るように豆粒のようなテレビ見ているのです。とても皮肉なワンショットといえるでしょう。

私たちは、このような群衆の中の一人であったのです。
テレビとは何だったのか、どのようにしてテレビは私たちの前に現れてきたのか……?

柴田秀利著『戦後マスコミ回遊記』を電子出版する大きなきっかけは、このような問いの中から生まれてきました。きっかけを与えたのは街頭テレビの写真でした。これらの写真はすべて柴田秀利さんの遺品からひきだしてきたものです。

佐野眞一さん

柴田秀利さんと私は、実はとても深く知り合った関係でした。中央公論から出版した文庫『戦後マスコミ回遊記』の解説は私が書きました。そして私は、正力松太郎という人間を、1994年に文藝春秋から『巨怪伝』としてまとめました。大変ぶあつい本です。そのときに、大変重要なキーマン、それが柴田秀利さん、という人だったのです。

たぶん、現存のジャーナリストの中で生前の柴田秀利さんにあったのは私一人だとおもいます。たとえば、渡辺恒雄のことを書いた魚住昭氏の『メディアと権力』という本がありますけれど、そこにも柴田秀利らしき人が書かれています。私もそれを読みました、しかし、生前の柴田秀利さんにお会いになっていないから、非常にゆがんだ人間として描かれていると私はおもいます。

私は生前の柴田さんにお会いして、驚くべき話を山ほど聞きました。芝浦にあった柴田秀利さんの個人事務所で初めてお会いしたとき、ただならぬ人格というものを感じました。以来、柴田さんのところへ通って、信じられないようないろいろな話をうかがいました。テレビとはどういうふうに導入されてきたか……テレビの出現というのは一大イベントだったわけです。その裏には非常に秘められた歴史があるわけです。

 私は『巨怪伝』に「正力松太郎と影武者たちの一世紀」の副題つけました。われわれわは、いまだに、良くも悪くも、正力がつくったメディアの権力の中にいます。正力という人はその後初代の原子力大臣となります。原子力開発を押しすすめます。しかしこの裏に、実は立て役者として柴田秀利がいたんです。われわれの生活では、原発でつくった電気を使っているわけです、その電力を使ってテレビを見、サッカー中継などを見て一喜一憂し又翌日新聞でその試合の模様を確認する、という行動の中にわれわれがまだいるわけです。

つまり正力松太郎および、その本当の立て役者であるところの柴田秀利という人物が仕掛けたメディアの構造の渦中に、いまだわれわれがいるということです。
『戦後マスコミ回遊記』はすごい本です。大物中の超大物、例えば吉田茂、あるいは最近人気の白洲正子さんのご亭主、外務官僚だった白洲次郎さんなんかは、ほとんど通行人扱いで書いてあります。そういう錚々たる人物が登場するドラマなんです。白洲次郎とも親交があった、あるいは北大路魯山人とも親交があった、そういう関係をさらりと自然に書いている。占領軍はこの柴田秀利に目をつけます。非常に武器になる……この男はできる、やれる、とおもった。アメリカ人というのは非常にフランクな面を持っています。つまりこいつはいけるとおもったらどんどんやらせるという姿勢です。

柴田秀利は、この時代、まだ30を越えるか越えないかの非常に若い年齢です。その若さで、テレビの幕開け、原子力時代の平和利用といった相当な量の仕事をこなした人でした。

私は13の時に宮本常一の『忘れられた日本人』を読んで感動したという話を何回もしたことがあります。私が13の時というと安保闘争、昭和35年、1960年でした。世の中物情騒然としている、政治の季節。それからもう一方では、同時に高度経済成長の時代が始まっている、家電製品がどんどん入ってくる、テレビがはいってくる、電気冷蔵庫、洗濯機が入ってくる、つまり政治と経済が一緒にやってきた季節だったわけです。世の中泡立つような時代だった。

そうした時代に背を向けて四国の山奥でたった一人で盲目の博労の話を聞き取っているオヤジがいる。あるいは対馬の海っぺりにいて、開拓漁民といいますが、一つの漁村を開いたじいさんの話に耳を傾けているオヤジがいる……この姿に私は感動しました。非常に孤独な背中、その姿に感動したんだとおもいます。

宮本常一は柴田秀利とは真反対にあった人だともいえます。つまり私は、宮本常一に感動し、そしてまた真反対の柴田秀利にも感動します。本が売れなくなってきているという時代の中あるとはいうものの、私は、本というものはまだまだ、それだけ大きなキャパシティーをもつものだということを訴えたいわけです。この幅の広さが読書の大きな醍醐味ではないか、ということが言いたいのです。そしてこの醍醐味を広げていく動きの存在無くして本の未来も無いだろうということです。その意味では電子出版もまた一つの動きとして力を蓄えていって欲しいと期待しています。

(その2へ)

Post to Twitter Tweet This Post