アマゾンの出版エコシステムは完成に向かう

2014年10月17日

posted by 大原ケイ (Lingual Literary Agency, NewYork)

今年もフランクフルトでのブックフェアが滞りなく終わったが、ヨーロッパでも書籍業界の人たちは出版社に対するアマゾンのやり方を支持するか、反対するかに二分されている印象だ。アメリカで起きているアシェットとのバトルに呼応するかのように、アマゾンがドイツでもボニエール社に対し、同じような措置を取ったことを受けて著者団体が結束して抗議声明を出すなど、攻防喧しい(詳細はこの記事あたりを参照)。

そしてブックフェア開幕当日に、アマゾンはドイツでも「キンドル・アンリミテッド(定額読み放題サービス)」を始めた(この記事も参照のこと)。書籍は定価販売で他国と比べても高く感じるドイツの書籍市場でどこまで加入者を確保できるかが注目される。

そして本国ではアマゾンがスポンサーになる形で、似て非なる二つの新サービスが始まる。拙ブログでも言及したが、これはアマゾンが考える新しい出版エコシステムの一端と捉えていいだろう。

さまざまな「クラウド出版」のしくみ

その一つは、実験的に自己出版を試みようというユーザーが自らの作品を試すラボとして作られたWriteOn(ライト・オン)。今のところ、過去にKDPで著作を出したことがある人にパスコード付きのメールが送られ、アマゾンからの招待がなければ覗けないようになっている。つまりはまだベータ仕様。実はもう夏辺りからずっとやっていたらしく、あのアマゾンがよく今までマスコミや出版業界関係者にバレないようにできたものだと少し感心したり。

ライトオンは現在はベータ版。招待された人しかログインできない。

ユーザーは、例えばこんなことについて本を書きたいと思ったことや、こういう本があったら売れるんじゃないの?というアイディアをぶつけてみたり、書いた文章の一部を載せて添削してもらうこともできる。単なる思いつきの段階でも、下書きの状態でも、クラウドで評価してもらえるところがミソ。

既に公開されているものを見たところでは、色々とアドバイスが付いたり、細かい句読点の位置まで直されているものもあるが、まだまだ作品の点数は少ないようだ。

とりあえず、ここまでの段階では、お金は動かない。すべてフリーのサービスということだ。この先アマゾンがこれをどうマネタイズしていくのか、ここから売り物になる本が見つけ出せればいいと考えているのかはわからないが。

だが、この「クラウド出版」が画期的かというと、そうでもない。

文章を書く人はだいたいみんな本をよく読む人だろうし、みんなで編集していこうよ、という試みはリチャード・ナッシュが5年も前に「カーソル(Cursor)」というサイトを立ち上げて、すでに始めている(Cursorについて詳しく報じた記事はこちら)。

カーソルは2009に立ち上げられた「クラウド出版」のコミュニティ。

こちらは「クラウド」というより、共同作業の仲間を「ピア(peer)」と呼び、なるべく信頼の置けるプロの編集者、プロの著者を集めてやらなければ意味がないとし、招待オンリーのクローズされた環境で始められた。クラウドのQ&Aサービスに喩えるなら、庶民的な「Yahoo!知恵袋」よりも、洗練された「Quora」に近いという印象だ。

ワットバッドはFacebookのアカウントでもログインできる。

他にも、アマゾンの新サービスのニュースを聞いて、みんなが思い浮かべるものとして、「ワットパッド(Wattpad)」というコミュニティーがある。こちらもアマゾンやKoboが始めるずっと前から自著をアップロードできる自己出版サイト&コミュニティーとして定着し、本国カナダ、アメリカ、イギリスなどの英語圏のみならず、フィリピンやアラブ首長国でも展開され、今や毎月3500万人のユニークアクセスがあり、毎日1000もの新しいコンテンツがアップロードされているという。

ワットパッドはあちこちからベンチャー資金を調達しているし、昨年はマーガレット・アトウッドを巻き込んだ詩歌創作コンテストをやったりと、かなりバラエティーに富んだ自己出版体験ができる。スマホ用のアプリのUIがシンプルなので使い勝手がいいらしく、日常的にアクセスするユーザーも多い。グーテンベルク・プロジェクトの電子書籍アーカイブにもアクセスできて、探せば色々と使えそうなコンテンツに行き当たるあたりが、読み放題サービスとして変容しつつある「スクリブド」を連想させる。

後はどれだけクラウドの質とアクセスを上げていけるか、というところである。

アマゾン出版はジャンル小説でクラウドを利用

これとは別に、(下書きではなく)完成した未刊行作品がアマゾン出版(Amazon Publishing)から出すに値するものかどうかを、アマゾンのアカウントをもつユーザーが評価するコミュニティー、「キンドル・スカウト(Kindle Scout)」も準備中だ(作品の募集はすでに開始)。募集ジャンルはロマンス、ミステリー/スリラー、SF/ファンタジーで、作家の側は作品の一部をサンプルとして公開し、どれを全編読みたいかをユーザー(読者)が投票する、というシステムになっている。

いまや「出版社」でもあるアマゾンはクラウドを利用して作家を発掘。

そこで一定の評価が得られれば、アマゾン出版からEブックとオーディオブックが出て、印税は実売の50%、1500ドルのアドバンス(印税の前払い)で5年契約となる。 紙バージョンの権利については著者に残され、自由に他の出版社に持ち込むことができる。

KDPと同じく、アマゾンが売るときの条件を有利にするための細かい拘束があって、原稿の長さは5万ワード前後、そのうち3000ワードほどをサンプルとしてアップし、一定期間はEブックはキンドルのみでしか販売できない。

アマゾン側はプラットフォームを提供するだけなので、作家の側が自分で考えたウリ文句や、あらすじ紹介、著者プロフィールと写真などを用意する。

とりあえずアマゾンは、ラリー・カーシュバウムという業界のベテラン編集者を引き抜き、多額のアドバンスを張ってオークションでエージェントから企画を勝ち取り、紙も電子も同時に出していく、という既存の出版方法は放棄したようだ(カーシュバウムとアマゾン出版についてはこの記事も参照のこと)。

つまり、これまでのアルゴリズム出版をプロアクティブにしたのがこの二つのサービス……なんて書くと横文字ばかり使いやがって……と怒られそうだが、日本ではこんな風に新しいことを新しいやり方でやっているところもないので、それにピッタリの訳語もないのだからしょうがないのである。

言い換えれば、既存の出版社が物書きのプロを育て、プロの仕事としての「本」を売るシステムだとしたら、アマゾンはアマチュアの物書きによるパラダイム構築を進めつつあると言うことだ。

英国のエコノミスト誌が発表した電子書籍形式の記事。

エコノミスト誌が電子ミニブックとして公開した「本の未来(The future of the book)」によると、アマゾンを通した自己出版の売上げは既に昨年で4億5000万ドルに達しているとも、あるいはそれ以上だとも言われている。そしてこの数字は今後も飛躍的に成長していくだろう。

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電子コミックの未来はどこに?

2014年10月15日

posted 中野晴行(マンガ研究者・京都精華大学

今年は6月に講談社の月刊マンガ誌「少年ライバル」、秋田書店の老舗青年コミック誌「プレイコミック」が休刊。9月には小学館の月刊マンガ誌「IKKI」、集英社の同じく「ジャンプ改」と大手出版社のマンガ誌で休刊が相次いでいる。いずれも販売部数的には苦戦してきたが、個性的な作品を数多く連載し、それらの単行本の売上で雑誌の赤字をカバーしてきた雑誌だ。単行本が雑誌の赤字をカバーしきれなくなった、とすれば、マンガ不況を象徴するような事態である。

2014年は紙から電子への転換点

紙のマンガ出版が苦しんでいる一方で、勢いがあるのが電子コミックだ。

2014年8月、NHN PlayArtが運営するスマートフォン向け無料コミック配信サービス「comico」の人気作品『ReLIFE』(作画・宵待草)の単行本がアース・スター エンタテイメントから発売され、たちまち10万部を超えて話題になった。電子コミックといえば、電子書籍端末やタブレット端末で読むことが一般に想定されているが、2013年秋にスタートした「comico」はスマートフォンに特化したサービスでオールカラー。小さな画面でも読みやすいように縦スクロールで読むスタイルになっているのが特長だ。作品はプロ契約をしたアマチュア作家による公式作品のほかに、読者投稿によるチャレンジ作品、ベストチャレンジ作品があって、『ReLIFE』は公式作品のひとつ。何をやってもダメな27歳の男が、1年間だけ高校生に戻るというファンタジック・コメディである。

これまでのマンガ作品は、人気雑誌に連載されたものが単行本化されるというパターンでないとなかなか売れない、とされてきた。雑誌で周知されることが前宣伝になっているわけだ。「comico」はアプリのダウンロード数300万(2014年6月現在)とは言いながら、紙とは全く別の世界で読まれている電子雑誌だ。その読者が、果たして紙の単行本を買うのかどうか? 7月に単行本発売のニュースを聞いたときから、私としては「あまり期待できないのではないか」と想像していたのだが、見事に杞憂に終わってしまったのである。

マンガ作品の供給源が、これまでの紙のマンガ雑誌から、電子雑誌に移っていく、ひとつの転換点になるのかもしれない。そんなことさえ考えさせられたのだ。

今後は、大手出版社も本気で電子コミックをどう展開していくのかを考えなくてはならなくなるだろう。もちろん各社とも取り組んで入るのだろうが、そのスピードを上げなければ生き残れない。まさに正念場なのである。

携帯コミックから離陸した電子コミック

「携帯電子端末でダウンロードしたマンガを読む」というスタイルの電子コミックが登場したのは、2003年11月。当時、凸版印刷の事業部門だったビットウェイ(現在の出版デジタル機構)がKDDI(au)の第3世代携帯電話向けにコミック配信をしたことにはじまる。フィーチャー・フォンの小さな液晶モニターに対応させるために、マンガのコマを切り分けて読ませるというビュワーも開発して、これが携帯コミックと呼ばれる新しい電子コミックのスタイルを生み出した。

2004年8月にはNTT西日本系のコンテンツ配信会社・NTTソルマーレが「コミックi」のサービスを、翌05年5月には「コミック・シーモア」のサービスを開始して、携帯電話で読む電子コミック、つまり携帯コミックが定着する。

携帯コミックは第3世代(3G)機の普及とパケット定額制によって読者を増やした。また、電話の利用料に乗せてコンテンツの利用料を徴収するキャリア課金は、配信元にとっての利便性を上げた。カード決済やプリペイドカードによる決済よりも、簡便で確実な売上回収ができたのである。

当時の携帯電話がほとんどの国民が持っている電子端末だったことも幸いした。わざわざ専用の端末を買わなくても、いつも使っているケータイでマンガが読めるのだから。

一般に、「日本の電子書籍はアメリカに比べて10年遅れている」と言われてきたが、コミックに関して言えば、アメリカに先んじていたことになる。

携帯コミックはマンガを読むスタイルも変えた。よく読まれているのはお馴染みの少年マンガや青年マンガ、少女マンガではなく、男同士の性愛を描くB.L.(ボーイズラブ)や少年少女の性愛を描くT.L.(ティーンズラブ)と呼ばれる作品。描き手は同人誌作家と呼ばれる人たち。読者は女性が多く、ダウンロードが集中するのは深夜12時から2時。書店に行かなくてもダウンロードして読める、ということが新たな読書スタイルにつながったのだ。

2005年に46億円だった携帯コミックの市場は2009年には513億円を突破する。

実を言うとこの頃、日本のメディアや研究者、評論家たちはこの現象に冷ややかだった。「これは電子書籍ではない」というのである。マンガに対して「文字よりも一段下のもの」という捉え方をするのは、知識層の伝統なのかもしれないが、それなりにマンガに理解を示している人たちも、読まれているのがB.L.やT.L.というジャンルの作品であることをあげて、アメリカの電子書籍市場とは別物である、としてきたのだ。

私もこの時期、イーブック・ジャパンのメルマガに連載しているコラム『まんがの「しくみ」』などで「B.L.やT.L.ばかりでは市場は頭打ちになる。ここからごく普通の人たちが読みたくなる作品を充実させることが必要になる」と書いている。「ほらごらんよ、同じ穴のムジナじゃないか」という声も聞こえそうだが、私は、携帯コミックを否定したのではない。ユーザーを広げよう。市場に普遍性を持たせる工夫をしよう、と言いたかっただけだ。

新メディアはスケベとともに

これは単なる俗説だが、日本でテレビが普及した最初のきっかけはマリリン・モンローが来日したから、という説がある。ジョー・ディマジオとともに日本にやってきた彼女が、記者会見のときにふと足を組みかえた。そのとき、スカートの中がテレビに映った、というのだ。それで世の男たちがあわててテレビを買いに走った、というのだが、どうだろう。一般に言われる皇太子御成婚と東京オリンピックがテレビの普及をうながしたというのが本当のところだろうが、モンロー説もなんとなく捨てがたい。

家庭用のビデオデッキの普及にはアダルトビデオが寄与したという話もある。販売店がお父さんのために1本プレゼントするサービスを始めたところ売れ行きが伸びたというのだが、その結果何台売れたのかというデータは残っていない。アメリカのCES(コンシューマー・エレクトリック・ショー)のお隣の会場では、アメリカ最大のポルノコンテンツの見本市(AVN)があるという話もある。行ったことはないが、これは本当らしい。

とどのつまり、スケベな衝動は人を新しいメディアに向かわせる力を持つということだろう。B.L.やT.L.がその役目を果たしたのであれば、そこをとっかかりにしてメディアをさらに普及させればいい。そのときには、エッチなコンテンツだけではだめで、エッチはエッチとして置いておいて、子どもたちや家族が楽しめるコンテンツを増やすことが大切だ。これがうまく行けば、メディアはテレビやビデオのように生活の一部となることができる。

何もアメリカの電子書籍市場ばかりがスタンダードというわけでもあるまいし、このままコンテンツの幅を広げながら日本独自の電子書籍市場が生まれればいい。マンガがその牽引車になればいい。あとにも書くが、マンガは文字と比較してデジタルとの親和性が高い。マンガで市場を拡大しておいて、文字もデジタルにふさわしいものは電子書籍で読むというのが自然な流れだと考えたのだ。

しかし、この目論見は、2011年度(2012年3月末)に崩れる。電子コミック市場が頭打ちになったのだ。ユーザーの携帯電話(フィーチャーフォン)からスマートフォンへのシフトが予想以上に早かったことが原因である。先にも書いたように、携帯電話は当時誰もが持っている携帯端末だった。小さなモニター画面だが本を読むことにも使える。コマ単位で切り分けられるマンガにはちょうど良い電子書籍端末だった。

紙と電子は10年以内に逆転

アップルの社の多機能のスマートフォン、iPhone 3Gが日本国内で発売されたのは、2008年6月である。しかし、キャリアがソフトバンク1社だったこともあって、それまでの携帯電話の市場は当面安泰だと考えられていた。携帯配信各社もスマートフォン向けを意識しながらも、携帯コミックが中心という姿勢を崩さなかった。携帯コミックは利益を生んでいたのだから、あえて乗り換えることはない。むしろ、積極的にiPhone向けのマンガ配信を進めたのは、イーブック・ジャパンなど、PC向けにマンガを配信してきた電子書店各社や既存の出版社だった。

携帯コミックの配信元の対応が遅れたのにはもう一つ理由がある。

携帯電話を動かしているOSはトロンプロジェクトから生まれた国産OS「ITRON」「μITRON」だ。ビュワーもデータもこれに合わせてつくられている。iPhoneでマンガを読むためには、iOSで動く新しいビュワーを開発し、データを加工しなくてはならない。それには人手と時間ががかかる。当時、日本の携帯コミックのデータづくりは中国と台湾の企業が請け負っていたが、ここが新しいデータの注文でパンクしてしまった。いきなり携帯コミックからスマホコミックに転換するなんてできない相談だったのだ。

こうして、津々浦々にまで普及していた携帯電話が、コミックを読むための電子書籍端末になっていたことが逆に足を引っ張る形になった。ユーザーの携帯からスマホへのシフトは配信元の予想を超える速さで進み、対応の遅れた電子コミックは一時売上を落とすことになった。

仕切り直しして、2012年度から再び電子コミック市場は拡大を始めた。携帯コミックは縮小したが、スマートフォンやタブレット端末向けの配信がそれ以上に拡大したからである。

インプレス総合研究所の「電子書籍ビジネス調査報告書2014」によれば、日本国内の電子書籍と電子雑誌をあわせた2013年度(2014年3月末まで)の市場規模は1000億円を超えた。そして、電子書籍市場のおよそ8割を占めているのが、電子コミック、つまりマンガである。

インプレス総研の報告書によれば、5年後の2018年には電子書籍の国内市場は3000億円に達するという。このままの比率でいくなら電子コミックは2400億円。現在のマンガ雑誌と単行本を合わせた市場規模、3669億円のおよそ3分の2にまで拡大する。マンガ雑誌、単行本(コミックス)の市場は毎年110億円程度の減少を続けているので、10年以内には紙と電子の逆転劇が起きる。

「まさかそんなバカなことが起きるはずがない」と現役のマンガ家やマンガ編集者、マンガファンは考えているかもしれない。が、「起きるかもしれない」という前提で対応を考えないと手遅れになる。

電子コミックの現状と課題

もちろん、新しい動きはいくつも出ている。その中には、成功しているものも多い。

2008年にスクエアエニックスが創刊した電子雑誌「ガンガンONLINE」は同社紙媒体からの移籍組やオリジナル作品を無料配信するWEBマガジンの先行組だが、『男子高校生の日常』(山内泰延)、『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』(谷川ニコ)、『帰宅部活記録』(くろは)などがアニメ化されるなどしてヒット。単行本も売れている。

集英社の「となりのヤングジャンプ」、小学館の「裏サンデー」など、大手出版社もWEBマガジンを展開しており、「となりのヤングジャンプ」からは『ワンパンマン』(ONE・原作、村田雄介・画)のようなヒット作も出ているが、「となり」「裏」というタイトルからもわかるように、正面切って展開するまでには至っていない。

むしろ熱心なのは最初に紹介した「comico」のようなコンテンツ配信のITベンチャー企業だ。

通販やソーシャルゲーム「モバゲー」で知られるIT大手のDeNAは、2013年8月に小学館系の小学館クリエイティブと提携してマンガアプリ雑誌「少年エッジスタ」の有料配信を開始した。これは、2010年にNTTドコモとの合弁でスタートさせた小説、コミックの投稿サイト「E★エブリスタ」の人気ライトノベルをコミカライズして配信するもの。また、12月には、人気マンガ家の新作を無料アプリで読める「マンガボックス」をスタートさせて、年末には大々的なTVコマーシャルも行った。

「comico」や「少年エッジスタ」は無名の描き手を積極的に採用していて、マンガ家を目指す若い人達にとっては、チャンスが増えることが期待できるなど、楽しみな動きではある。『ReLIFE』の宵待草のような新しい才能も生まれるかも知れない。

しかし、これらの無料配信型で気になるのは、マネタイズの段階では従来の出版市場に頼らざるを得ない、という点だ。有料配信の「少年エッジスタ」も含めて、いずれも単行本化で資金が回収される仕組みになっている。せっかく新しい媒体を利用するのに、紙に印刷される場合の制約に縛られてはおもしろくない。

電子コミックとして完結する方法はないのだろうか? きっとあるはずだ。

一方で、マンガ家の中にも積極的に電子にコミットして、シュリンクする紙の出版からの脱却を図ろうという動きがある。

ひとつは、アマゾンが提供するKindle Direct Publishing(KDP)というセルフパブリッシング・サービスを利用して、自ら出版を行うタイプ。出版社の中抜きをなくすことが可能になるこの仕組みでは、鈴木みそが成功例だ。新作、旧作を含めて積極的にKDPでの電子化を行った鈴木は、2013年だけで1000万円を稼いだことをブログに公表している

赤松健は、絶版マンガを広告とバンドルして無料配信する「Jコミ」(現在は「絶版マンガ図書館」と改称)の正式版を2011年4月にスタートしている。

ただ、ビジネスセンスを持ったマンガ家がそうそういるわけではあるまい。むしろ、「お金のことはわからない。そんな時間があれば作品を描きたい」というマンガ家が多いのではないか。全員が、鈴木や赤松のように成功するという保証はない。

また、紙のマンガをデジタル化して配信するというスタイルでは、やはり紙の制約に縛られることになる。

次のステップへの進化を阻む大きな壁

そもそも、今のように紙のマンガ雑誌やコミックをデジタル化して配信するというスタイルに依拠している限り、決してバラ色の未来が待っているわけではない。紙のマンガ市場が滅んでしまえば、配信するべきコンテンツがなくなってしまうからだ。

先にも書いたように「comico」のようなオリジナルの電子コミックも増えているが、これらの多くは無料で配信したものを紙の単行本にまとめて、これを販売して利益を上げる仕組みになっている。つまり、このまま紙のマンガが滅んでしまえば、電子コミックだって共倒れになる可能性が高い。

ここまではまあまあ順調だったが、次のステップに進むにはひとつ大きな壁を乗り越えなくてはならない。2015年は、未来のマンガを真面目に考える年になる。いや、考えなければならない年になるはずだ。

さて、ここでどうしても言いたいことが二つある。ひとつは「電子コミックで儲ける」のを目的にするのはやめましょう、ということだ。「儲けるな」というのではない。儲けるのは大いに結構。儲からないとビジネスが長続きしない。

だが、儲けるのが目的であっては困る。KDPをつかったセルフパブリッシングで何百万儲けたとか、出版の市場規模が減った分を電子書籍で埋めるためにはどうすればいいか、といった議論ばかりでは未来は拓けない。

もうひとつは、既存の本やマンガのイメージをとりあえず忘れよう、ということだ。

「本というのはめくるものである。だからめくりがない電子コミックはダメ」とか「今あるマンガ表現から外れるとマンガがマンガでなくなる」と言われたのでは、新しいものは生まれない。結果として、今の本やマンガの姿に還ってくるのは別に問題ないのだけど、そこに縛られたくはない。

本もマンガも長い歴史の中で、生まれ、洗練されてきたものだ。縛られないようにするのは難しい。が、長い歴史の中では何度も変革を経験して今日に至っている。既成概念をやぶって新しいものをつくるのは難しい。手塚治虫だって、戦後まもない出版界に「漫画でも小説でもない」ストーリーマンガを持ち込んだときには、ずいぶん非難を受けている。それを乗り越えたから手塚のマンガは今なお、日本マンガに大きな影響を残している。

「劇画」もそうだった。1950年代半ばに登場した頃は、「残酷だ」「絵が汚い」「荒唐無稽」とさんざん叩かれたものだ。しかし、マンガの多様性を生み出す基盤を作ったのが劇画だ。そして現在、劇画の名付け親でもある辰巳ヨシヒロは、世界から最も注目されるマンガ家のひとりになった。

手塚たちの成功は、既成概念にとらわれずに、逆にそれを壊そうとしたところから生まれている。

マンガとデジタルの親和性

では、電子コミックという新しい表現の確立に向けて、私たちはどうすればいいのか。

まず描き手は、デジタルという新しいおもちゃで何ができるのか? 何をしたいのか? を考えてみることだ。いや、考えなくてもいい、試してみることだ。失敗したらまたやり直せばいい。エンタテインメントはみんなそうやって形を成してきたのだ。運がよければなんとかなる。『マンガ産業論』の著者がこんなことを言うのはまずいのかもしれないが、一発で成功する方程式などない。

次はそれをみんなで楽しむ。マンガ家も楽しい。彼をサポートする人たちも楽しい。もちろん読み手も楽しい。

そこから生まれるものは、もはや文学だとか、マンガだとか、映像だとか、ゲームだとか、そういうものをひっくるめたものになるのかもしれない。手塚治虫が「小説でも漫画でもない」ものからストーリーマンガを生み出したように。

それは鵺(ぬえ)のようなものかもしれない。でも、いずれははっきりした形になるはずだ。そもそも、先にも書いたように、絵で読ませる表現手法はモニターで読むという今の電子端末にぴったりの表現手法なのだ。どんな端末を使うにしても文字を読む場合にはストレスが大きい。文字を読むために、本という形は究極の進化だったろう。モニターで読むならコンテンツ側が環境に合わせて進化しなくてはおかしい。見ただけである程度の意味が伝わるマンガは、モニターでも読みやすい。電子書籍の8割をマンガが占めているのは、活字の作家やライターたちが消極的だからではない。マンガとデジタルに親和性があるからだ。

一方で、絵で表現するマンガは2次元に閉じ込められることで大変な不自由を味わっている。動けない。音を出せない。そして、これは日本だけかもしれないが、色がない。集中線やオノマトペはこの不自由を凌ぐために開発された苦肉の表現だ。

つくり手が表現したいものを自由に表現できること。それが喜びになること。そして、できあがったものが読者(そのときには読者とは呼ばないかもしれないが)が喜ぶ。感動し、励まされたりもする。そういうものがこの鵺(ぬえ)の正体になる。

この話をすると、結構な数の人が「それはマンガじゃなくて、アニメかゲームじゃないですか」と言う。そうではない、これは「未来のマンガ」だ。

未来のマンガは当然のことながら電子書籍端末でなければ読めない。紙の本にして収益を上げることはできなくなるかもしれないが、電子コミックに素晴らしい作品があれば、読むためには端末を手に入れるしかない。昭和30年代、わたしが小学生だった頃に、オリンピックを見るためにテレビを買ったようなものである。こうなればしめたもの。電子コミックがビジネスとして成り立つのか、という心配もなくなる。消費者がほしいものを売ってお金を得ていく、という最も基本的なビジネスが成立する基盤ができているのだから。

実を言えば、携帯コミックが成功したのも、「欲しいものを消費者に」ができていたからなのだ。

表現と技術の革新が黒船を破るとき

表現の革新からは、技術の革新も生まれる。つくり手や読者から「こういうことをしたい」「こういうものを読みたい」という声が出れば、端末やソフトウェア(アプリ)はそれに応えるように、創意工夫されて改良されていく。携帯端末やデジタルカメラの進化を見ればよくわかる。

いま日本の電子書籍市場はアマゾンのキンドルストアや、アップルストアのような黒船に覇権を奪われようとしている。しかし、日本の電子コミック表現が進化して、技術も進化した段階で、キンドルは古びた電子書籍になってしまう。紙の本の版面をデジタル化しただけの電子書籍なんて、もはや過去のものになってしまうのだ。

物量作戦で来る相手に正面から向かっていくのは日本の戦い方ではない。相手にはできないことを積み重ねて、最後に勝利を得るのが日本らしいやりかただ。それは、アメリカ大リーグに革命を起こした、イチローの戦法でもある。バットコントロールで野手のいない場所にボールを運び、足で塁を稼いでいくイチローは、パワーヒッターぞろいのアメリカの野球を変えた。

私たちが目指す電子コミックもイチローのように小ワザを積み上げることで、黒船を破ることができる。

もちろん、紙の本も残る。文字ものもそうだろうし、マンガも紙の方が読みやすい作品はたくさんある。「紙の本はレガシーなものになる」という人もいるが、紙と電子がそれぞれ別の媒体になっていくからには、補完関係になるのが自然だ。

これは夢物語なのだろうか。私は夢だとは考えていない。それよりも、ここに書いたような未来が現実にならないのであれば、電子コミックも時代の徒花に終わる、と危惧するのである。

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北海道ブックフェスに参加してきました

2014年10月5日

posted by 仲俣暁生(マガジン航)

先週の週末に、北海道の江別と浦河というところに行ってきました。「マガジン航」にも寄稿していただいたことのある北海道冒険芸術出版の堀直人さんが実行委員長をつとめる、「北海道ブックフェス2014」という催しにお招きいただいたのです。

このブックフェスは2010年に「札幌ブックフェス」としてはじまりました。私は2011年にも一度ご招待をいただき、札幌でのトークイベントに参加したことがあります。このときのトークの相手は北海道大学の渡辺保史さんでした。堀直人さんとの出会いのきっかけを作ってくださったのも渡辺さんだったので、彼が2013年に急逝したのは残念でなりません。

今回のフェスに参加したことで、渡辺さんがテーマとしていた「コミュニティとメディアの関係」について、私自身があらためて深く考える機会になりました。

「本」が人と人を結びつける

会場を北海道全域に広げ、名称も「北海道ブックフェス」とあらためた今年は、札幌、江別、旭川、剣淵、浦河、岩見沢、恵庭、苫小牧、北広島、小樽の各所で9月いっぱい、さまざまなイベントが開催されました(各会場についてはこちらを参照)。一つひとつは手作りのイベントでありながらも、開催場所が道内各地に散っていることで、点から線、面へとスケールが広がったように感じます。このうち私が参加した江別(札幌郊外の学園都市)と浦河(日高地方の中心地)でのイベントについて印象を述べることにします。

江別は内陸の町だが、近くを流れる千歳川にかつては港があった。

9月27日に行われた江別でのフェスのトークイベント会場は、小さな商店街のなかにある「COMMUNITY HUB 江別港」というスペース。海から離れた場所なのに「江別港」と名乗るのは、かつてこの地を流れる千歳川に河川舟運の港があったからです。またこの場所が地元の若者達が旅立ち、戻ってくる「港」になってほしい、という思いも込められているそうです。

このスペースは一階がカフェ&ラーメン屋になっており、二階から上がワークショップなどを行うオルタナティブスペースとして使われています。北海道ブックフェスの期間中はここが「古本屋」に変貌し、併せてビブリオバトルやトークイベントなどが開催されるというわけです。

店内のさまざまな場所にコンセプトの異なる「本棚」がある。

この部屋には会期中、地元の大学生の実際の蔵書が展示された。

江別でのトークイベントに参加したのは北海道冒険芸術出版の堀さん、この「江別港」のオーナーである橋本正彦さん、北海道と東北で読み終えた本の再活用をすすめる活動をしている「北海道ブックシェアリング」代表の荒井宏明さん、そして私の四人。畳敷きのちいさな部屋(写真すぐ上)で十人程度が卓袱台を囲み、「編集と何か」「本がもつ力とは」「10年後の未来をどう想像するか」といったテーマで、会場との応答をまじえつつ和気あいあいとした時間を過ごしました。

「ブックシェアリング」は不要になった本を次の読者に手渡すしくみ。

トーク終了後に歓談をするなかで私がいちばん驚いたのは、参加者の中に約120キロ離れた旭川から車を飛ばして来た方がいたこと。旭川でも「北海道ブックフェス」は行われており、そのつながりもあったと思いますが、本が人を動かす力に感動しました。

その夜は「江別港」に宿泊。翌朝は朝食(ラーメンでした!)のあと、本のかたちをした手製のクッキーと美味しいコーヒーをいただいた後、出港する船のような気持ちで、この気持ちよいスペースを後にしました。

「江別港」への入り口。左手は併設のカフェ&ラーメン屋。

本屋のなくなった町に本屋をつくるプロジェクト

翌日は江別から車で約4時間ほどかけて浦河まで移動。雄大な太平洋の景色を望みつつの長距離移動でした。午後に浦河に到着すると、会場の浦河ショッピングセンターMiOでは「浦河ワンデイブックス」が佳境をむかえており、子ども連れを含めた多くのお客さんが来場していました。

この日、浦河に一日だけの「本屋さん」が集合。

北広島のブックカフェ「風味絶佳」も一日だけ浦河で開店。

浦河は人口1万2000人ほどの小さな町ですが、日高振興局(旧・日高支庁)の合同庁舎があるため、規模の割に都市機能が発達しています(浦河町については、この地で体験移住のモニターとして長期滞在した檀原照和さんの体験記も参照)。しかし2012年に大手チェーン店が撤退した後、町には新刊書店がひとつもなくなってしまいました。

今回の北海道ブックフェスの実行委員でもあり、北海道冒険芸術出版のメンバーでもある武藤拓也さんは、2013年に浦河に「地域おこし協力隊」として赴任。現地で生活しながら、札幌のくすみ書房の代表・久住邦晴さんを招いて勉強会を行ったり、浦河での「訪問販売」を成功させたりしています(その記録は武藤さんのブログを参照)。

武藤さんと私はこの日が初対面でしたが、「マガジン航」で以前、くすみ書房の閉店の危機を伝える記事を寄稿していただいたことがあります。武藤さんとくすみ書房との関係が深まったのはこの取材がきっかけとのことで、久住さんも自身が体験したことを、浦河での本屋の復活に少しでも役立てようと、浦河になんども足を運んでいるようです。

この日の「ワンデイブックス」でも、くすみ書房は出張販売を行いました。このほか地元の12組の人たちがフリーマーケットで一日限りの「本屋さん」を開店。また道内の北広島からはブックカフェ「風味絶佳」が参加し、会場の一角でお店を一日だけ開業しました。そして夜には久住さん、武藤さん、そして前日と同様に堀さんと私が加わり、四人でトークをする予定になっていました。

札幌のくすみ書房も一日だけの出張販売。

会場では浦河に「本屋さん」を復活させるための支援金も集められた。

夜に行われたトークイベント「まちと本屋さんの未来 – 浦河に本屋さん作るって本当?」では、浦河に常設の「本屋さん」を復活させるにはどうしたらいいか、という話が展開されました。というのも武藤さんは、町内の「かぜて」というスペースの一間で、今年の11月を目標に「六畳書房」を始める予定なのです。

この夜のトークイベントには30人を超える参加者があり、浦河での本屋さんの復活を実現するため35万円の支援金が集まりました。またこの日も、はるばる北見から来場した方がおられ、北海道における地域間のダイナミックな人の動き方について、目を見開かされました。

図書館とアマゾンと古本屋さえあればいいのか?

浦河でのトークイベントでも、会場の人とのあいだで質疑応答が行われました。「地域おこし協力隊」の人たちや、取材に来ていた放送局のジャーナリストを交えたイベント終了後の打ち上げでも、浦河に本屋さんを復活させることについて、つっこんだ議論が続けられました(ちなみに打ち上げの会場は「六畳書房」の開業予定地でした)。

浦河には立派な町立図書館があり、中規模の新古書店もあります。本を求める人はアマゾンをはじめとするネット書店を利用したり、札幌まで出かけて買ったりもするそうです。つまり新刊書店が存在しなくても、それなりに本へのアクセス手段は存在する。大手チェーン店でさえ撤退するほど、経営的にきわめて困難ななかで、浦河になぜ新刊を扱う「本屋さん」が必要なのでしょうか。

この問いは、じつは浦河だけに向けられたものではありません。会場では電子書籍の話題は一度も出ませんでしたが、このさき電子書籍が普及すれば、ますます「本屋さん」以外の選択肢は増えて行きます。それでもなお、この町には「本屋さん」があったほうがいい、と考える人たちがいます。私自身、自分が多様な本と出会ったステップとして、大型書店の前に中型書店があり、その前段階として商店街の小さな本屋や学校図書館があったことを忘れることができません。

江別と浦河での経験を通じて、「本屋さん」とは、まだ自力では多様な本と出会うことのできない子どもや若者が「本と出会う最初の一歩」のことではないか、と私は考えるようになりました。いつかは彼らもその「港」から出て行くのかもしれません。町の小さな新刊書店など存在しなくても、その役割は大型新刊書店とネット書店と古本屋と図書館、そして電子書籍があれば代替できる――そのように早々に結論づけてしまえば、本の環境に恵まれた大都市住人の傲慢さと言われても仕方ないでしょう。

浦河での「本屋さん」復活への期待は、ノスタルジーや本へのフェティシズムからではなく、コミュニティの実情に根ざしたところから発しているように、私には感じられました。今年の11月に「六畳書房」がスタートしたら、また浦河を訪ねてみたいと考えています。

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20インチ超のタブレットを電子本に使う

2014年9月25日

posted by 西牟田靖(ノンフィクション作家)

3月末に「自分だけの部屋」に引っ越してからというもの、仕事のための環境はどんどん整っていった。幅180センチのワイドデスクの真ん中にはキーボードとディスプレイを置き、右にはプリンターやスキャン専用機、左には連載の取材の際に拝見した大野更紗さんの机を真似て、小さな本棚を置いている。机の下には、ずらりと本を並べた棚があり、まだそこはあまり埋まっていないが、引っ越し後も着々と本は増えている。

自炊代行業者に送った約1200冊もの書籍のうち、スキャンデータとして納品されたのは500冊あまり。一冊150円の「5営業日納品スキャン」というコースに出した本は送って一ヶ月ほどでPDFデータに変換され、サーバーにアップする形で納品された。一冊100円の「のんびり納品スキャン」というコースの方は半年たった今もまだ大半が納品されていないが、すぐに使うものでもないのでコース名が示すようにのんびり待ちたいと思う。

連載の最終回で示したように、スキャンに出した本の中には一ページがA4という大判サイズのものもある。たとえばシリーズ物の図鑑がそうだ。

電子本を読むために購入したiPad 2の画面はB5よりも小さい。電子化された図鑑を表示してみたところ、見開きはおろか、一ページだけの表示すら厳しかった。それどころか普段、執筆用のディスプレイとして使っているNANAOの17インチでも、A4判の図鑑を見開きで表示するのは厳しい。執筆時は参考資料となる本や画面をしばしば参照することになるが、電子本を読む際に、ディスプレイをいちいち切り替えたくない。

スキャンし納品された電子本をうまく使いこなすため、解決法を考えてみた。別の画面に映し出すのがよかろうということで、僕は、とある20インチ以上の大画面タブレットに白羽の矢を立てた。それはヒューレット・パッカード社のSlate21という21.5インチのAndroidタブレットであった。パソコンにしなかったのは、あくまで電子本やテレビの閲覧用としての利用しか考えていなかったからだ。値段も安く、春に最安値だった26000円ぐらいの値段で晩夏の時期に、ヤフオクで購入した。

部屋に届くとさっそく箱から出し、コンセントをつないだ。そして電源を入れた後、カスタマイズし使えるようにした。読書用にはiPad 2でも使った「i文庫」という読書用アプリのAndriod版を、そしてネット上の外部ストレージとしてDropboxをインストールした。

21インチのタブレットを仕事用の机に置いた様子。右手は執筆用のWindowsマシン。

「i文庫 for Android」で自炊済みの本を開いてみることにした。PCのハードディスクに格納されているOCR済みの電子本データをDropboxにアップロードし、Slate21にインストールされたDropboxアプリ経由で開こうとしたのだ。すると、さすが21.5インチ。PDF化したA4判の『昭和 二万日の全記録』などを見開きで快適に見られるようになった。ハードカバー本も見やすい。文庫本は逆に画面が大きすぎてやや見づらかった。

A4判の本でも見開き85%の大きさで表示でき、十分読める。

Dropboxを使ってわかったのは、8GBしかない内部ストレージにいったんPDFをダウンロードしなければ読めない、ということだ。そこで、いつもはPCにつないでいる3TBの外付けHDDをSlate21にUSBケーブルでつないでみた。するとちゃんと認識し、こんどは内部ストレージにファイルを移すことなく、PDFを「i文庫 for Android」から開くことができた。

外部HDDもUSBストレージとして認識される。

これで記憶容量の問題はクリアできた。今後は8GBしかないSlate21の内部ストレージに頼ることなく、数百、いや数千という電子本のデータからなる個人蔵書を簡単に閲覧できる、ということだ。これは画期的かも知れない。思わず胸が躍った。

しかも本棚登録や単語の検索もできたから申し分がない。一冊ごとに本棚へ登録する手間がかかったり、写真や文字の配置が複雑なレイアウトな図鑑や雑誌だと単語の検索がうまくできなかったりという改善点はあるが、十分及第点だ。

このようにAndroid版巨大タブレットと電子本の相性はなかなかに良い。書影が出なかったり、検索ができなかったり、タブレット自体が大きすぎて、外へ持ち出せないという問題はある。それでも、大量の電子本蔵書を抱える人や大量の本の電子化を検討している人には、朗報といえる解決法なのではないか。

僕自身、資料を参照しながら書くという態勢がこれでようやく整ったと思えるようになった。自分だけの部屋として、使いやすさが格段に上がった。このサイズのタブレットはあまり売れていないようだが、大量に自炊した人にこそ向いている製品だと思う。個人の電子図書館として利用するにはまだ少々難はあるが、僕が人柱となって使い心地を改善していきたいと思う。

※西牟田靖さんの「床抜けシリーズ」の本連載は終了しましたが、今回は番外編としてお届けしました。なお、同連載は来年、本の雑誌社より単行本化される予定です。

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「フィクショネス」という本屋の話

2014年9月16日

posted by 藤谷治(作家)

1998年7月4日に開業した東京・下北沢の書店「フィクショネス」を、2014年7月22日に閉店しました。本当は開業と同じ7月4日に閉店したらきっちりしてていいと思ったのですが、閉店の腹を決めたのがひと月前で、それまで十数年続けてくれた詩人カワグチタケシの「詩の教室」(毎月第3日曜日)をしっかり終えて貰うため、この日を終業日としました。

「人のいうことを聞きたくない」

「フィクショネス」を開くまでの僕は鬱屈したサラリーマンでした。横浜のポルタという地下街に今もある書店から始まって、書店中心に職場を二、三度変えました。自分は小説家であるはずなのに、なんでこんなことやってるんだと思いながら毎日満員電車に乗っていました。その鬱屈は、結果サラリーマン生活を放り出して「フィクショネス」を開いてしまった程度には、度外れたものだったと思います。貯金も保険もつぎ込んで、親からお金も借りました。

ですから心情としては第一に独立ありきだったわけですが、その心情と「本屋をやる」というのは僕の中で完全に一致していました。ほかの商売はやったことがないし、本に囲まれているのが好きなのです。というより本の詰まった本棚のないところでは、恐らく僕は生きていかれないと思います。これは書店経営者の絶対条件でもなければ必要条件ですらありません。完全に僕の物神崇拝(フェティシズム)です。

(ちなみに僕は、今ではなんの証拠も残ってないからいいますけど、優秀なサラリーマンでした。最後の勤め先は新刊書店と古書店を両方経営していて、グッズの店やネット販売もありました。僕はこれらすべての店舗がひとつのデータベースで統括されるPOSシステムをさる業者に作らせました。その後その業者から独立の記念に超格安で譲られたのが「フィクショネス」のレジスターです。知っている人は知っているが、それはあの貧弱な店には似つかわしくないほど優秀なレジスターでした。)

とにもかくにも、なんでもかんでも、サラリーマンでだけはいたくないという動機で始めましたから、やることなすこと無茶苦茶で、場当たりもいいところでした。「サラリーマンでいたくない」というのは、要するに「人のいうことを聞きたくない」ということでしたから、本屋をやろうとは思っても、取次のいいなりにはなりたくなかった。それに取次と契約するには、開業前に補償金というのが必要で、それが店舗面積一坪につき五十万という話もあったくらいで、そんな金はありませんから、自分の売りたい本を神田村へ行って買い取って売ろうという、露店みたいな発想で始めました。下北沢ならそういう商売も、なんか成り立っちゃうんじゃないかと夢想したわけです。ちなみに下北沢の物件は、「月刊店舗」という雑誌に広告が出ていて、ひと目で気に入り、ほかは見ませんでした。(あ、今思い出しましたが、田舎暮らしに憧れて、越後湯沢駅前の物件を見に行ったりしましたが、やはり無理がありました)

開店当初はそれでもずいぶんがんばりましたが、やはり袋小路の二階、しかも雑誌もエロ本も置いてないのでは、赤字もいいとこでした。僕の計算では、一人で賃貸物件で書店を経営して仕入れ代や必要経費をさっぴいて、なおかつ利益(僕の給料)を出すには、最低でも日計五万円は売り上げなければならない筈でしたが、そんなに売れた日は十六年間で五日か六日あったくらいでしょう。のちに週末に人を集めて句会、文学の教室、詩の教室、といったワークショップの真似事をしてみましたが、さしてプラスにはなりませんでした。

本ではなく「自分を売る」

こんなところで、こんなやり方では、本は売れん、ということを思い知りました。

そこで考えたわけです。本を売ろうとしても、駅前で長いことやっている町の本屋さん(当時の下北沢では北口の「博文堂」が強かったです)にはかなわない。しかしせっかく下北沢という、明日を夢見る貧乏な街に店を出したんだから、この街の特異性をこっちに引き込むことを考えよう。すなわち、やりたいことを思うさまやろう。そして本ではなく「自分」を売るべきだと。

90年代後半の下北沢には、路上で無料マッサージをやる人だの、おもちゃのピアノの弾き語りだの、漫画の朗読家だの、儲かってるかどうかは相当疑問だが、やりたいことを勝手にやっている人が溢れかえっていました。路上で呼び込みなんかは恥ずかしくてできないけれど、僕だってやりたことはあるんだから、それを前面に出して生きて行こうと考えました。

そこで実行に移したのは、おもにふたつのことでした。ひとつはお客さんに必要以上に話しかけることです。「フィクショネス」には、いちどきに不特定多数のお客さんが来ることはめったにありませんでした。そこで入ってきたお客さんに、天気の話とか、棚から取り出した本についてとか、いろいろ話しかけてみました。まず六割から七割のお客さんには相手にもされず、煙たがられたりもしましたが、これで意外と店を気に入ってくれる人が増えました。やはり下北沢を訪れる人というのは、よそと違うものを求めているのだと思います。

もうひとつは小説を書き始めたことです。小説は子供の頃から書いていましたが、本腰を入れて書くようになりました。一年かけて『ぼくらのひみつ』という小説を書いて自分でプリントして店先で売ったりしたのは、今ではこっぱずかしい思い出です。この小説はのちに全面的に書き直して早川書房で本にして貰えました。

自分を売るために実行したこのふたつのことは、結果的にいくつかの大きな成果を生みました。お客さんの中にはフリーのライターや編集者がいて、雑文書きの仕事を回して貰ったりもしました。とりわけネットの占いサイトの「診断結果」を書くのは有難い仕事でした。タロット占いは自分でも「フィクショネス」のテーブルでよくやっていました。蛇足ながら僕の占いの唯一の欠点は、絶対当たってしまうことでした。タロット占いは、あるコツさえつかめば絶対に当たります。が、そのコツはもちろん、企業秘密です。

結婚相手もお客さんから見つけました。その女性(つまり現在の妻)がプレゼントしてくれた万年筆で、五か月かけて『おがたQ、という女』という小説を書きました。これが新潮新人賞の最終候補に残りまして、浮足立っていたら、「フィクショネス」常連だったあるフリーの編集者から、

「藤谷さん、これ受賞するかもしれないんだから、今のうちから次回作を書いておいた方がいいよ」

とアドヴァイスを受け、即座に書き始めたのが『アンダンテ・モッツァレラ・チーズ』です。ところが案に相違して新潮新人賞は落選してしまいました。意気消沈して「次回作」も中断し、占いライターで食いつないでいました。

「宝くじ」に当たる

それが2002年のことで、明くる03年の春、背のひょろ長いお客さんが「フィクショネス」にやってきて、店内をきょろきょろ見渡しました。

「このお店は、持ち込みの本がずいぶん多いですね」
「ええ、ウチは自費出版や持ち込みは、断らずに置いてます」
「……店長さんも、何かお書きになっているんじゃありませんか?」

そういってその背の高いお客さんは、名刺を出しました。そこには、小学館文芸編集部、と書いてありました。

この人に絶叫しながら『おがたQ』のプリントコピーを渡したのが、僕の小説家人生の始まりです。宝くじに当たったようなものでした。以来僕は書き詰めに書いていますが、それはこの心細い宝くじの幸運が途切れないよう、蜘蛛の糸をおっかなびっくりよじ登っているようなものなのです。

小説家になってからも、十年間、「フィクショネス」を続けました。理由はいくつかありますが、ひとつは「フィクショネス」にいるのが好きだったからです。もうひとつは誰でも好きな時に来られるのは、小説家としての営業面に役立つだろうという計算でした。実際、未知の編集者がふらりとやってきて、今度ぜひウチにも、というようなお話をいただくことは、ままありました。

しかし最大の理由は、見たことも聞いたこともない人々を見ることができる、たまにはお話もできる、という楽しみのためでした。「フィクショネス」を訪れてくださるのは、僕を知っている人ばかりではありませんでした。中学生や就活中の学生、おばさん、俳優、大金持ち、頭のおかしい人、ファンの人が台湾から来てくれたこともありましたし、近所の閉店した風俗店の行方を追っている税務署の人も来ました。書斎にこもっていたのでは決して出会うことのなかった人々と、ちらりとでも接することができるのは、小説家として得難い経験でした。

けれども書店としての収支が赤字という状態は十数年間、ついに変わりませんでした。そうして僕は五十歳になりました。働き盛りです。執筆の佳境に自動ドアが開いたり、電話が鳴ったりすることに、ややくたびれても来ました。より家賃の安いところに引き籠もって、集中して仕事がしたくなりました。

「自分」を売りたいと思ってやってきましたが、「自分」が売れたのです。こう書くと、なんだか「フィクショネス」を見捨ててしまったような、お店に対して申し訳ない気持ちが湧き上がってきます。あの場所は本当に僕を幸運で救ってくれました。今は、なんとか「フィクショネス」という名前(ボルヘス『伝奇集』の原題です)だけは残して、今後のパブリックな活動に使おうと思っています。

*   *   *

この原稿を僕は、新しく見つけた隠れ家で書いています。ここがどこかを知っているのは、僕と妻だけです。編集者も知りません。メールアドレスと携帯番号、それに僕の自宅の住所は、関係各所に知らせてありますが、ここのことは一切秘密にしています。

ついこの間まで僕は、日本でいちばん会える小説家でした。今は行方知れずです。しばらくはこの極端な変化を楽しみたいと思っています。

在りし日の「フィクショネス」の入り口に立つ著者。

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